あらしの前のマリオネット

あらしの前のマリオネット - D.E.V.

D.E.V.の仮想思考モジュール

男はみんな「オンナノコ」になりたがるよう社会に仕向けられている

日々のふとした会話からそういう結論に至ったのでここに思ったことをとりとめもなく書いていこうと思う。

男は一人称がコロコロ変わる

これに気付かされた時まるで電撃が走ったようだった。友人との語らいでは「俺」、社内では「僕」、取引先では「私」…。そう、男は女に比べて一人称をより多く使い分けているのである。この一人称の適応範囲が狭いというわけではない。パーソナリティというものが状況によってこと細かく分けられていることの現れなのだ。

手始めに「ボク」って言ってみろ

こっぱずかしさがあるはずだ。単なる一人称の単語の問題でないことは明らかである。「ボク」という一人称は無意識的に「ボク」という何かのキャラクター性を帯びている。これはつまり、私、僕、俺、アタシ、わたくし、などの一人称はすでに仮のパーソナリティを既に持っているのだ。

社会全体で「ナリメ」をする男たち

この考え方を進めてみると、一人称がコロコロ変わる事象というものの見方が変わってくる。一人称が変わる時、TPOに応じた言葉遣いだけではなく、パーソナリティさえも切り替えているのだ。

そうなってくると、常に「性的要素のないナリメ」をして社会を回しているのと本質的にはあまり変わらないものという考えかたができる。「お世話になっております」「お疲れ様です」…こんなやり取りが行われ続けるメール…こんなのはまったく本物のパーソナリティでもなんでもない。ネトゲネカマやって「お仕事おつかれさまっ!⭐︎」とか言ってるほうがよほど本物の自分から発せられた言葉なのである。

衣装ですらもなりきり

スーツを着てのおしごと、これはもう社会人のコスプレに他ならない。着たい着たくないではなく、そういうプレイなのである。言葉遣い・一人称・服装、ここまで変えるならもはや自分なんてどこにも残っていないのでは?と思えてくる。髪型やアクセサリーがそもそも少なく、腕時計にステータスを見出す男たちがいるのもわかる。男にとってステータスの基準は「自分」ではなく「所有物」なのだ。

「自分」を開放する男たち

そうなってくると、行き場のなくなった本当の自分の行き着く先は、必然的にごく限られた範囲となってくる。気心知れた友や家族くらいのものだろう。もはや「本当の自分」など、社会のどこでも必要とされなくなってしまったのだ。しかたあるまい。本当のパーソナリティは、歪みに歪められて、ついには性別を超えて権化するのである。

なぜ「オンナノコ」化するのか

その行き着く先は女性アバターでのプレイしかり、バ美肉しかり、女装である可能性が高い。社会でのロールプレイに疲弊し、本当の自分に見向きもされなくなった男が、なぜ自身のパーソナリティを女性として、それも「オンナノコ」としてアウトプットを行うのか。その理由は、時計などの所有物ではない、自分自身のステータスが不足していることに気付いてしまうからなのだ。いくら高級時計を、高級スーツを着ていようが、裸の自分が持っているステータスなど何もないからなのである。もう少し掘り下げていこう。

かわいいは正義

自分が男性であるからといって、自分の理想が男性である必要はない。理想がオンナノコなのであれば、妥協せずオンナノコになろうとするのは当然である。

ではなぜオンナノコになりたがるのか。自分にとっての恋愛対象が青少年時代の女子たちだったからというのか。そうではなく、私が思うに、人間が最も肯定感を得られる状態というのが「カワイイ」のではないか。すなわち、カワイイ状態とは自己と他者の両方を満足させうる状態のことではないか。このような状態をとりうるのはオンナノコ以外では非常に難しいと思われる。

自己を満足させる肉体とは筋骨隆々のマッチョではない。男はなかなか自己に陶酔できないのである。それは何億年と続く生命の営みにおいて、オスとメスではパートナーを選ぶプロセスそのものが大きく異なっているためで、オスが自分を大切にしても我が子は育たず、メスは自分を大切にすることで子供を育ててきたからだと推測される。なので、男が自己肯定をするのに手っ取り早くうってつけなのは「オンナノコ」なのである。

自分が好きなものに自分自身がなること

この自分を好きになる喜びを男は味わうことなく社会に出てしまうのである。せいぜい中学生時代に眉毛をいじってみたり、ヘアワックスをこねくり回す程度の自己愛で生きてきた生き物が、自己愛マックスのオンナノコになって無双する下地は十分用意されている。

さらに、前述した髪型やアクセサリー、化粧から服装に至るまで、オンナノコが自身を可愛く見せるための方法は男のそれより遥かに多く、男からすれば無限ともいえる組み合わせの中から自分の好みを見つけることができる。そしてその都度新しい自分に出会い、満足し、自己肯定を強めていけるのである。

そのうえ、自分の望むものが他者の望むものであるという「カワイイ」状態は、それを止めるような障壁がなくなり、どんどんと加速していくのである。自分の努力は「誰か」のためであり、「自分」のためでもある、こうなると自己収縮を始め、ついにはブラックホールとなり、自身の周りの空間を歪ませながら成長していくのである。

まとめ

  • 男はいくつものパーソナリティを使い分け、必要に迫られてなりきりプレイをしている
  • 男は自己愛が少なく、自己に陶酔しづらいため、オンナノコになりたがる
  • カワイイには無限のパターンがあり、やり込み度が高い
  • 自分だけでなく、周りも満足させられるやさしい世界がまっている

以上です。