概要
要は社会ってのは運要素だろう
運要素なので、何もしなければ適当な料理ができあがる
自分で何かをしようとする意思、それこそが「カレー作ろう」である
そしてその意思があるにもかかわらず、運要素による干渉を受けることで「肉じゃが」が完成する場合がある
自分の人生を振り返って考えたその理由を3つに分けて解説していこう
なりたい未来を思い描く想像力が足らない
そもそもどういう将来にしたいのか、その想像力が足らない
子供の頃によく言う「総理大臣になりたい」…これと本質的には何ら変わらない解像度で未来を思い描いている
おぼろげな想像力のせいで、適当な場所をゴール地点にしてしまうのではないかという恐怖が常にある
自分が何をしたいのかを正確に考えるんだ
しかし、どうやって…
道のりを考える計画力が足らない
未来までの道のりをどのように進んでいくか
ゴール地点すらあやふやな自分が、それでも計画するんだ
どうやってその未来に到達するのか、それを考えるんだ
しかし、どうやって…
一歩踏み出す実行力が足らない
やっと考えた道のり
しかしそれですら一歩踏み出せないことも多い
運良く一歩踏み出せても、すぐに壁にぶつかって止まってしまう
そして、ときには道のりを計画し直してでもとにかく歩き出すんだ
しかし、どうやって…
でも肉じゃがもうまい
運悪くまずい料理が完成されることだってあるだろう
自分は運がいいのでどうなろうと美味しい料理が完成してる気がする
身も蓋もないが、結局納得したかどうかでもある