いいから口に出せ
「今年は〇〇やります!」
みたいなことを言うくせに、実際にやらない人間のことを口だけ人間と呼ぶ。彼らは嘘つきで誠実さがない。だから、自分はできない約束はしない。
それはその通りだが、では、そういうことを言わない人は責任感が強いのか。「そういうことを言わない人」というのは、責任感が強くて、「こんなこと言っちゃって出来なかったら責任取れないぞ」というような思考であるのではないか。そのため安請け合いはしない。
そのため、そういう人はほぼ確くらいのフェーズに来てから、「やります」というスタートを切ることが多いと思う。実際には「やります」というよりも、「できます」「やれます」というパターンだろう。
その場合、ほぼ履行されるから、誰も裏切らないしもちろん約束の責任を果たしている。
しかし、それが良くない。逆に良くない。責任感が強いがゆえの責任逃れになっている。絶対雨降りそうな日だけ「雨予報です」って予報する気象予報士。とても責任感あるなとは思えない。
だから、宣言しないというのは、逆に不義理であるといえる。誠実であるようでいて、自分の意志を不確実さのもとに隠しているようでもある。(もちろん、人間関係など、言わなくても良いことに対して白黒つけるような宣言をする必要は無い)
この局面で大事なのは、どちらに着地するかわからないこの状態で、周りの人間に自分をベットさせることである。「雨降るかな?」に対して、「降ります!」というような意志を伝えることで、賭けさせる。それでこちらを向かせる必要がある、と感じている。これが責任感であり、勇気ではないか。
宣言しないと始まらない
そのため、まず賭けさせることが何よりも重要である。やりたいこと、やらなきゃいけないこと、そういった内容を「やります」と宣言することで周りの人間にベットさせる。
ベットさせるのが重要なので、勝率は五分五分、あるいはさらに厳しいものが好ましい。駆け引きを見せるために、いけるかどうかみたいなラインで「やります」と言う必要がある。
だから最初は口だけでも良い。もし仮に口に出した時点で実は勝ち筋が見えてるなら、それはイカサマだ。ただイカサマを駆使するのは悪いことではないが、やはりここ一番と言うところに残しておくべきだろう。
「やります」って言う段階では、口だけ上等
宣言したその後は、実際にやるしかない。考えても誰にもわからないからこそ、オッズが高かったわけだ。そしてオッズが高いうちに張る必要があったのだから、口だけでかまわない。上等だ。
そういう難易度や不確定要素を超えて、宣言通りに実行できた人に信頼が湧いてくる。上司や同僚、後輩、家族、フォロワー、みんなが見ている。そういう人になるために、まずはどこでもいいので口に出して宣言することを忘れずに行っていきたい。
口に出すことでできるようになる
言ってしまったらやらないといけない、なら、黙っているよりかはできるようになる可能性が高まるはずだ。
だから口だけの人間になろうと思う。口だけになっているうちにいずれできるようになる。これを繰り返してレベルをあげていけば、自分の中で決めた約束を自分の中で守れるようになるはずだ。